2007/12/17

【 NOTA 】  3ヶ月ぶりに...

NOTA 】  3ヶ月ぶりに...


昨日は、3ヶ月ぶり3度目A&S大磯カップに、前回よりも参加者が多く下は1年生~6年生まで全部で18名という大人数で参加してきました!!

今回は、U-10クラスに1チーム、U-12クラスに2チーム。



まずは、U-10クラス

いやぁー今回も楽しかった。

スクールが誇る1年生コンビは、まるでメッシとロマーリオをちっちゃくしたみたいだった。
相手はほとんど4年生なのにどんどんテクニックで仕掛けちゃうし... あと3年後がとても楽しみだ。 

最近入会した4年生2人もガンガンドリブルで突破をしていく... 遠慮がちな部分はまだあるけど男の子より気が強いから6年になったら男の子よりかなり上手くなってるかもしれない。

他3、4年生の子達は、負けじとテクニックを駆使してゴールに攻めていくが、なかなかシュートが入らないというより飛ばない... ただ仕掛け方にバリエーションが出てきたことと失敗しても何度もチャレンジ、トライしていくその姿勢がコンスタントに表れていたのは大きな進歩。


試合テーマで、シュートを『ラボーナ』限定にしたのがいけなかったかな...笑


全体の成績では前回の結果よりも下回っていたけど、内容は前回よりもはるかにいい試合をしていた。

楽しい試合の中でも、点が入らないことへの焦りからテクニックまでもが崩れていく。

その状況を打開するココロの持ち方が試合の局面打開につながることを今回は身をもって学んだことと思う。




次にU-12。
参加人数が多かったので、試合時間短い中交代させるのももったいないから5人ずつチームを作り参加した。

今回は【極秘テーマ】ともう2つ。
『楽しく・美しくプレー』する中に勝ちにつながるプレーをしていこう!
自分ができることをドンドン出していこう!!とテーマを与えた。

予選は別々のリーグだったが、共に1勝1敗...
2位トーナメントへ行き、2位トーナメントの決勝戦はスクール同士の紅白戦みたいだった。
その紅白戦もテーマを与え、とても魅力ある楽しい内容のゲームだった。

大会を通して前回よりもよりテクニックを出せていたし、抜くということだけじゃなく、タメを作る、敵をおびき出すもしくは動かす、もしくは敵の足を止めるなどといった意図・目的のあるテクニックの使い方ができるようになっていた。

それと試合中、選手達がそれぞれ声を出し、指示を出し、意見をぶつけ合い状況打開の為の行動も見えた。

スクールのベースとなるカラーがドンドン濃くなってきている。

5,6年生のプレーは、U-10が終わってみていた子達に「俺たちもあんあ風にプレーしたいし、なりたい!」っていう大きな希望を抱かせてくれたに違いない。



今大会を主催しているヘラクレス大磯のKさんが僕にこんなことを話してくれた。

「いやぁー進歩しているね。 独特のボールタッチといい、試合中に使うテクニックといい。 どんどん進歩しているよね」って。

こういってくれるととにかく嬉しい。

スクールのカラーを体現してプレーしてくれたスクール生にホント感謝しなきゃ。

最後に、遠方に関わらず朝早くそして遅くまで参加していただき、送迎にご協力していただいたき、また応援にも駆けつけていただき本当にありがとうございました。

p.s. 夢中になりすぎて今回は何も写真をとることができませんでした。
   写真をとられている方いましたら提供願います。



NOVA LASPPESA FUTSAL SCHOOL
代表 菊池 洋輝

2007/12/14

【 AGENDA (メモ)】 トヨタカップ

◎トヨタカップ



昨日のスクールは、トヨタカップがあるからスクールを早めに切り上げた。

みんなキックオフまでには家に着いてただろうか...?


さてさて、ブログで実施しているアンケート通り、ACミラン vs. ボカ・ジュニア―ズの決勝戦になった。


2007/12/11

【 NOTA 】  コトバ

歴史が存在していた証として、
常にコトバは生きつづけている。

過去のコトバは今に続き、
そして未来へつながっていく。

どんなに国が違っても、
どんなに人種が違っても、
どんなに言葉が違っても

人という内面は万国共通で、
過去のコトバは今を生きるバイブルでもあり、
それがセオリーでもある。





失敗をしたことが無い者は、
何も新しいことに挑戦したことがない。

アルバート・アインシュタイン   


 

2007/12/08

【 スクールリリース 】  アンケート結果

◎アンケート結果


アンケートにご協力していただいた方ありがとうございました。
またアンケートではなく直接メールで直談判していただいた方もありがとうございました。
アンケート公表しているよりも直接メールの問合せが正直ものスゴク多くてビックリしています。

結果としては、直談判メールも含めて下記の通りです。

 1位 : 曜日を増やしてほしい。
 2位 : 週3コースがあってもいい。
 3位 : 別地域で立ち上げて欲しい。
 4位 : 今のままでいい。

今の月曜・木曜以外なら通えるという問合せも多く、スクールを必要としている人の声が予想以上に多いというのがとても伝わっています。
また、週2コースで上手くなるなら週3回通わせてもっと上手くさせたいという希望も多く寄せられています。
最近は練馬区以外から多く入会してきているせいか、こっちにも・あっちにもという声が多く寄せられてうれしいですね。

スクールとしてチーム以上に求められているのを痛感していると同時に、練馬だけじゃなく他地域も同様に少年サッカーをする環境が非常によくないということがこのアンケートや直談判メールで伺えました。

アンケートの結果を元に、スクールとして多くの方の希望に応えられるようにじっくりと検討させて頂きます。

改めてアンケートにご協力していただいた方、直談判メールを入れていただいた方にはお礼申し上げます。




NOVA LASPPESA FUTSAL SCHOOL
代表  菊池 洋輝

2007/12/07

【 NOTA 】  トヨタカップに見るブラジルとの縁

トヨタカップに見るブラジルとの縁



さぁ、待ちに待ちこがれたトヨタカップがはじまる。

トヨタカップの歴史をよく見てみると意外なことがわかる。

それは、日本とブラジルの関係。
地球の裏側の距離以上にもっとディープなキズナというか縁で結ばれてようだ。
もちろん歴史上、移民というカタチではつながりはある。


それ以上にサッカーという視点で限定していえば、
いくつも面白い逸話がある。



トヨタカップで来日するブラジル人の多くは、その後も多く日本でプレーし、日本でタイトルを獲得している。

最近では日韓ワールドカップでブラジル代表が優勝したことが記憶に新しいだろう。

もうちょっと掘り下げてみようか。


例えば、ジーコ。
TOYOTA CUPという大会に変わり、日本で開催して2回目の年。
1981年に、ジーコが所属するフラメンゴが来日し、優勝した。
ジーコはその後、Jリーグ前に鹿島アントラーズの前身となる住友金属へ入団。
数年後、ナビスコカップのヴェルディとの決勝戦の場所
それはトヨタカップで優勝した思い出の地の国立競技場だった。
PKがヴェルディに与えられ納得のいかないジーコはボールにツバを吐き退場してしまった。
そんなこんなで日本代表監督になっていた。


そしてジーコがトヨタカップで優勝した11年後の1992年。
名将テレ・サンターナ率いるサンパウロFCがヨハンクライフ率いるFCバルセロナと対戦。
本命バルセロナを下し優勝したサンパウロのメンバーにいたのが、カフーとトニーニョ・セレーゾ。
その翌年の1993年、またも南米代表としてサンパウロFCが来日。
イタリアの名門ACミランを下し2連覇達成したメンバーにいたのが、カフーとトニーニョ・セレーゾはもちろん、レオナルドとジーニョだった。

そのトニーニョ・セレーゾはジーコと黄金のカルテットと呼ばれる世界最強の中盤の選手の1人としてワールドカップに出場している。
96年に選手を引退し、ブラジルの大学へ指導者資格の為入学。
そして、2000年に鹿島アントラーズの監督に就任。
就任1年目には、トヨタカップで2連覇した国立競技場でナビスコカップと天皇杯の2度タイトルを獲得し、監督個人としては2年連続Jリーグ監督賞も獲っている。


次にレオナルド。
ジーコがトヨタカップで優勝した6年後の1987年に、ジーコが所属していたフラメンゴで17歳でプロデビューした。
このつながりはあとに大きくさらに強くつながっていく。
トヨタカップ来日翌年の1994年アメリカW杯の前にジーコから鹿島アントラーズのオファーを受け入団し2年過ごす。


そして、カフー。
ベテランの域に入るが今もなお世界最高の右サイドバックとしてプレーしている。
2003年にはマリノス移籍の話が出たが、結果的に10年までにトヨタカップで破った宿敵ACミランと契約した。
そんなカフーは、Jリーグには所属してプレーはしていないが、日本に来るたびにタイトルを獲得している。
サンパウロFCで2回、ブラジル代表として日韓ワールドカップで1回。
で、ACミランが調整練習として使用している場所が契約まで行かなかったマリノスのグランド。
これの何かの深い縁があるんじゃないかと思ってしまう。
ま、優勝すれば日産スタジアムで代表チームとクラブチームの2度目の世界一のタイトルを獲ったことになるだろう。


まだまだいくぞ!!
次にジーニョ。
ジーニョもまたレオナルドと同じフラメンゴでレオナルドがデビューする1年前にプロデビューした。
93年にサンパウロFCで来日して、95年にはグレミオFCで来日すると、99年にはパルメイラスで来日した。
その時一緒にプレーしていたサンパイオとエヴァイールとともに横浜フリューゲルスに入団。
レオナルドとはブラジル代表でプレーした。


1997年にクルゼイロが来日した中に、ブラジル代表エースがいた。
それはベベット。
その後、トニーニョ・セレーゾが監督していた鹿島アントラーズでプレーした。
※実は仕事でベベットにインタビューしたことがあって...(プチ自慢話になってしまった)


今回来日するACミランにはカフーの他に、ロナウドがいる。
彼もまたレアルマドリードで来日し、ワールドカップで来日している。
ま、日本でプレーすることはないだろうが来ていることに何か縁があるのだろう。


最後に、FIFA公認の大会になってから最初の2005年大会。
来日したサンパウロFCの中に、Jリーグ発足前に読売サッカークラブのサテライトでプレーしていたアモローゾという選手がいた。
彼はその大会で優勝し、MVPになった。




トヨタカップという限定した中で見ただけでもこれだけの逸話がある。
Jリーグの中だけでもブラジル人選手が多くプレーしている。
Jリーグ前の日本リーグ時代でもそうだ。
ネルソン吉村、セルジオ越後、与那城ジョージなどなどまだまだいる。
ということはだ、日本のサッカーの歴史の中で、「ブラジル」との関係は切ってもきれない何か不思議な縁があるのかもしれない。

【お知らせ】本日(10/16)のスクールについて

スクール生保護者各位 本日は降雨により、代替施設にて時間と場所を変更し練習を行うことと致します。 時間は以下の通りです。 ◆時間> 【育成スクール】ベーシッククラス 19:00~20:00  【育成チーム/U-15】 ジュヴェニウ 19:30~21:00 ...