[Rouba(ホウバ)]…奪う
[Pega (ペガ)]…掴む、拾う
先週のブラジル戦を再度観ている。
試合開始早々の一コマ。
ネイマールがハーフウェイラインに戻るようにボールをもらいに行くシーン。
日本代表は、トライアングルでゾーンを敷いてネイマールに対して数的有利な状況にしたのか…?
ただ単にネイマールに対してのマークとボールを所持している選手にチェックが遅くなっただけなのか…?
全然ボールを奪いに行かない日本代表の守備は、地域の少年サッカーチームの試合を彷彿させる。
ドリブラーに対し、『取りに行くな!ボールを見とけ!』と声を張り上げる指導者の声が聞こえるかのようだ。
相手のミスを誘うかのようだが、スキルやレベルの高い選手は自らボールをこぼすようなミスなどしない。
ミスを待ってもミスなど生まれない。
『ボールを奪う』という環境がないゲームでは、プレッシャーも生まれず、ボールを所持している選手にとってはまた違った『ゆとり』を与えてしまっている。
そんな『ゆとり』を与えては、ボールを所持している選手のスキルや賢さなど磨かれることはない。
ましてやいつまでたっても『ボールの奪い方』にも磨きがかからない。
奪われても奪うこともできない。
そんなチームがどうやって攻撃に転じるのだろうか…。
スクールに来る子供達のほとんどは、『奪う』という意識がなく『見る』というよりは『眺めている』というだけ。
批判めいたコトを言っているようだが、少年期においては下記のことが大事になってくる。
ボールを奪われない
ボールを奪う
ボールを奪わせない
ボールを奪い返す
この4つのコトをするのには、個人なのか、グループなのか色々な手段はあるだろう。
とにかく原理原則。
奪われない技術を磨くには、奪うという技術を高めなくてはいけない。
ボールを奪う人のスキルが高まれば、ボールを所持している人のスキルは当然高まって行く。
もちろんボールを所持している人のスキルが高まれば、ボールを奪う人のスキルも高まって行く。
ボールを奪ばわれないことが攻撃へのスタート。
そして、ボールを奪うことが攻撃への再スタートなのである。
『攻撃こそ最大の防御』と言うことわざがあるが、いくら攻撃してもボールを奪われ、奪い返せないのでは防御にならない。
このことわざには、攻めるというだけじゃなく、攻めるためにボールを奪うという意味も含まれているのではなかろうか。
なので、地域で指導されているお父さんコーチの皆さんに提言したい。
どんな戦術論やら哲学やらの前に、いま一度原理原則の原点に立つ必要があるのではないだろうか?
『ボールを奪う』
『ボールを奪われない』
という視点で、奪われない・奪う・奪わせない・奪い返すの4項目の数を数えながら、再度ブラジル戦を観てみてはどうだろうか?
大差で勝ったブラジル代表の当たり前のスゴさに気づくのではないだろうか?
0 件のコメント:
コメントを投稿