◎「錯覚」という「感覚」
この間の連休を使ってスクールの中学生を田舎へ連れて行き合宿をした。
そこで改めて感じたこと....
「より不便さを実感することで、伝えるべきことの説得力が増す」
「言わないことがより伝わることもある」
ということ。
僕自身も「いなかっぺ」から「都会人」になって
もうすぐ10年になるだろうか...
都会の便利さが普通になってきているけど、
どうもその便利さに不便を覚える時もある。
サッカーでいうならば、
環境面で田舎より恵まれている部分が多くある。
恵まれすぎてそれほど苦労しなくても
出来てしまう部分がある。
田舎もんにしたらうらやましい環境である。
逆にその環境が当たり前すぎて、
中途半端になっている部分もある。
「便利」という部分に、
ウィークポイントが隠れてる気がするし、
「不便」という部分に、
ストロングポイントが隠されている気がする。
合宿に連れて行った中学生は、
何もいわなくても僕より早く起きて、こっそり8キロを走っていた。
同じ「錯覚」といえども近所の人は、昔の僕の姿に見えて、
「走ってらのは、オマエの息子か?」
なんてわざわざ電話してくる始末。笑
「錯覚」から見えてくること
「錯覚」が見えなくすること
その「錯覚」という「感覚」に惑わされてはいけない。
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